編集・ライター養成講座 卒業制作

平日銀行員、休日映画監督、ときどき脚本家

~みなぎる熱意と旺盛なサービス精神で、人を動かす~

 「あたしに聞きたいことがあったら、なんでも聞いてね」

香川県高松市うどん屋鶴丸」。そこで開かれた会合で、彼女はそう言った。カレーうどんの匂いが立ち込める中、好奇心と強い意志を秘めた大きな瞳が、私をまっすぐに捉えていた。

 

香川県在住の映画監督、香西志帆。平日は銀行員として働き、土日や有給を使って映画を撮っている。また、脚本家として映画に携わることもあり、シナリオを書くときは十九時に仕事を終えて二十二時に就寝。夜中の二時に起きて、朝まで書き続けて仕事に行くという過酷な日々を送る。恐るべき体力である。

香西について書かれた記事を読み、てきぱきとしたキャリアウーマンを想像しながら、香川県にある彼女の「作業部屋」へ向かった。

 

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香西志帆(撮影:太田亮)


 高松市にあるアパートの扉を開けると、そこにいたのは想像と異なる小柄で可愛らしい女性。その部屋に三人で住みながら脚本を書いたり、映像の編集をしたりしている彼女は、初対面であるにも関わらず、「空港でうどん食べた?食べてないなら、そこにうどん屋さんあるから一緒に行く?」と、屈託のない笑顔を私に向けた。柔らかい声色だが、口調ははきはきしている。自分のことをあっけらかんと話す姿を見ていると、抱えていた緊張感はどこかに消えてしまった。

 

映画監督としての香西は、演出としてCGや人形をよく使う。近日中にDVD化が決定されている「猫と電車」と「恋とオンチの方程式」も例外ではなく、女性が思わず「可愛い」と目を細めてしまうシーンが含まれている。両作品の脚本も香西が手がけているが、「生々しい話は好きじゃない」と言う彼女が描くラストシーンは必ずハッピーエンド。「サッドエンドにする人は、本当の悲しみを知らないって言うやんか」と、意味深な言葉をつぶやいた。

 

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高松市にある作業部屋。広いリビングの一角に、香西のデスクがある。


内気な少女が魅了された「ものづくり」の世界

 小学生の頃は、自分の思いを話すことが苦手ないじめられっ子。「うん」という言葉もきちんと言えない内向的な性格だったが、幸いにも彼女には、周囲から大々的に褒められる機会があった。それは、心に秘めた世界を絵で表現した時。一枚絵を描くたびに表彰されていた為「天才的に絵が上手い香西志帆ちゃん」と呼ばれていた。書くことも好きで、小学三年生の時には、江戸川乱歩シリーズに感銘を受けて「へび一族」という小説も書いた。彼女が何かを生み出すたびに、周囲は大絶賛した。大人だけでなく、クラスメイトの女子達も、彼女が書いた小説を読むと、口を揃えて「おもしろい」と喜ぶ。香西曰く「ものづくりは自分の存在価値を主張するための手段」。それは鎧を脱ぎ捨て、偽りのない自分で世界と繋がるための糸だった。

 

ものづくりを続けた理由はもう一つある。何かをためらうように一呼吸置いて、香西が話し出したのは「お父さん」の存在だった。現在ではほぼ疎遠になっているが、家族と折り合いが悪く母親と喧嘩をすることも多かった。つぶらな瞳の網膜に焼きついたその出来事によって、彼女は傷つき、同時にある決め事をした。「私は、ばかにされん何かを身に付けよう」。少女が密かに胸の内で決意したことが、周囲に認められる絵や小説を書き続けることの原動力となった。

ものづくり「しか」しなかったという学生時代は、授業中も黙々とノートの端に絵や小説を書いた。宿題は途中までやるが、飽きてしまうので、最後まで終わらせたことがない。

 

香西の母清美も、娘に備わった才能の芽を摘むことはせず、「やりたい」と言ったことには気が済むまで取り組ませた。

「うちは芸術家の家系なんよ。私の祖父が、絵を描く人で。だから絵も小説も、(香西が)やりたいって言ったことは反対しませんでしたね」

香西が中学二年生の時に両親は離婚したが、理解のある母親の元で、彼女の才能は実をつけ、すくすくと育っていった。

 

大学卒業後は、社内報の制作ができると聞いて地元香川の百十四銀行に入社。がむしゃらに社内報を作っていく中で、地域の取材をすることになり、映画の撮影で香川県善通寺市に来ていた、本広克行監督にインタビューをした。「踊る大捜査線」シリーズの監督でもある彼に、「なぜ映画監督になったのか」と質問。「事故に遭って大学を受験できず、現実逃避で映画を観続けているうちに、映画の学校に興味をもった」という答えを聞き、自分自身も辛い時に映画を観て気分転換していたことに気付く。映画という存在が、心の中で光を放ち出した瞬間だった。

その後、OLとして社内報に携わりながら、脚本を書いていた内館牧子にインタビューしたことで、「監督は遠いけど、脚本家なら頑張れば私もやれるかもしれない」と考えるようになる。

香西は、香川県主催の映像塾「映画制作実践講座」を受講。映像制作について学びながら、そこで出会った仲間たちと自主映画を撮るようになった。脚本家、監督、カメラマン。様々な役を経験しながら、学んだことを一つずつ、確実に蓄積し、自分のものにした。

持ち前の人懐こさと親しみやすい性格が彼女の武器となり、人脈も広がった。そんな中、撮影で参加した映画で知り合ったプロデューサーに、香川県を走る電車「高松琴平電気鉄道(通称ことでん)」の百周年記念として制作予定である映画の脚本を依頼される。「女性にもウケるようなガーリーな作品にしてほしい」という「ことでん」の社長からのお願いだった。

 

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「映画製作実践講座」で出会った仲間と作った作品が収められているDVD。

歯をくいしばった日々

 告げられた制作費は五千万。大金を前に、香西は気合いを入れて脚本を書き始めた。迷うことがあると、周囲の人に相談し、助言をもらう。気力を振り絞り、「死ぬ気で」脚本を完成させた。

 

それから時が経ち、「ことでん」百周年記念の映画を撮る監督が決まった。作品の舵取りを任されたのは、実績があり、知名度のある監督。彼は船の行く末を「百年の時を刻むような作品にする」と決定。香西が書いた「ガーリーな脚本」は、お眼鏡にかなう作風ではなく、命がけで書いたものが「不採用」になる。脚本は別な人に頼むことになった、と制作側から告げられた。

書き上げるまでに一年かかっていた。銀行員として働きながら、神経をすり減らし、何度も何度も「こんなに辛いなら死にたい」と思いながら完成させた脚本が、何の意味ももたない紙切れに変わる。突きつけられた現実の残酷さに、言葉が出ず、泣いた。

彼女の心の灯が消えたことは、共に自主映画を撮っていた仲間達にも伝わった。そこで彼らが選んだ行為は、共に嘆き、落ち込むことではなかった。

「協力するから、自分達で撮ろう」

彼らは香西が魂を込めて書いた脚本を、共に映像として残すことに注力しようと決めたのだ。香西としても、たくさんの葛藤と苦しみを乗り越えて書き上げた脚本が、このまま無かったものになることは避けたかった。知り合いのプロデューサーからの励ましもあり、彼女は「監督と脚本家とカメラマンと編集者」という四つの役割を背負って、もう一度立ち上がることを決意する。

 

かけられる制作費は百万。五千万を想定して書いた脚本をそのまま使うことはできない。三ヶ月かけて脚本を書き直した。主演の篠原ともえには、自ら事務所に電話をかけ、直接会う約束をとりつけて出演交渉。予算の関係もあり、主演以外のキャストは三名を除き、地元香川に住む劇団員や子ども達を選んだ。

香西は現場で、誰よりもよく動いた。素人である子ども達の演技も指導した。子どもだけのシーンは妥協をしたくないという思いから、他のキャストが帰ってから時間をかけて丁寧に指導し、撮影をした。子どもが思うように演じられなくても決して声を荒げず、「ここでこう立ち止まって」と、自ら体を動かし、求める演技を粘り強く提示する。十日間という撮影期間の中で、ほとんど眠ることはなかった。

 こうして完成した映画「猫と電車」は、現役銀行員という肩書きも相まって、地元のテレビ局や多くの新聞社に取り上げられた。すると、ニュースを観た香川の映画館「ソレイユ」の社長から「上映させてほしい」と電話がかかってきた。香西の信じる「映画の神様」の仕業かどうかはさておき、放った熱意が実を結び、スクリーンの中で映像が動き出す喜びを、心の底から感じていた。

 

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すぐに売り切れたという「猫と電車」の パンフレット。

辛いときに支えとなるもの

 その後も何本か監督として映画を撮ったが、撮影時は楽しいことよりも辛いことの方が圧倒的に多く、いつも「この作品で最後にしよう」と思う。

「猫と電車」の後に撮った映画「恋とオンチの方程式」では、東京から来たプロの制作スタッフとの間に生じた確執に悩んだ。経験の多い男性スタッフがかもし出す、女性を馬鹿にする空気。疑問に思うことを複数人で容赦なくぶつけてくる。カメラマンとして入っていた香西の友達は、ストレスのあまり口がきけなくなってしまう程、血の気が多く殺伐とした現場だった。

一日が一ヶ月に感じられるくらい、長い長い毎日。しかし前に進むしかなかった。ダメ出しをされたことに対して、「次はこうしよう」と日々反省しながら撮影を進めた。

根っからの負けず嫌いでもあったが、辛い環境の中で彼女を支えたのは、「成長し続けたい」という思いだ。変わらない環境の中で穏やかな日々を過ごすのではなく、新しい扉を開けて見たことのない世界で生きていきたいと、常に考えている。

「毎日銀行行って、まぁ多少違うかもしれんけど同じ仕事して。それが嫌なんよね。マグロじゃないけど、止まると死ぬ、みたいな。あたしは今まで、ものづくりによって友達ができたり、評価されてきたりしたから。人生の新しいページをどんどん開いていくとしたら、あたしの中ではもうものづくりしかないなって気はする」

強い上昇志向をもつ彼女は、産卵という目的に向かって遡上するサケのようでもある。目指す方向に濁流が待ち受けていたとしても、尽きることのない向上心が彼女の背中を押し、上り続けること以外の選択肢を与えないのだ。

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ものづくりへの思いを、熱く語る。

そして彼女の中には、支えとなるもう一つの屈強な柱がある。常に側で、彼女を見守り続ける仲間達だ。映像塾や、制作スタッフとして参加した映画で出会ったという彼らは、香西が監督を務めた映画を無償で手伝っている。映像制作への情熱があり、損得勘定を抜きにして手伝ったり、助けたりすることができる人達であり、香西を精神的にもサポートしている。

 

多くの人を惹きつける魅力 

彼らに香西の印象を聞くと、皆口々に発する言葉がある。冒頭の会合の中でも、その言葉を耳にした。

「香西さんは、人を惹きつける力のある、不思議な人」

 あまりにも同じ言葉を発する為、口裏合わせをしたのではないかと思う程だったが、そうではないということが、取材を進めるうちにわかってきた。

多くの人を惹きつける上で大切なことは、第一印象だ。最初に会ったときの印象が悪ければ、「また会いたい」「この人のことを知りたい」と思われることもないだろう。香西は、初対面の人に対する壁がない。「よく知らない相手とのとりとめのない会話が苦手で、早く仲良くなりたい」と思っているので、最初から自分の素顔を見せたり、進んで話しかけたりすることに抵抗がないのだ。

共に映像塾に通い、監督補助や制作スタッフとして香西と共に数多くの映画を制作した高橋恵一も、彼女を「誰とでもすぐに仲良くなれる人」だと言う。

「人見知りじゃないっていうのと、自分をアピールするのが上手いんだと思います。しばらく話しても、あの人は結局どういう人なんだろうっていう人もいますけど。香西さんは自分がどういう人間で、どういうことをやってきて、今何をやろうとしているのかを、伝えられるんですよね。相手にとっては香西さんのことが短時間でよくわかるので、その後つきあいやすいんじゃないかと思います」

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映像塾で出会い、現在も香西の映画製作を 手伝っている高橋恵一。

 自分について正直に、的確な言葉で話すことができる。どんな人物かということが相手にも伝わるので、互いに心を開いて話すまでの時間は短くて済む。飾らない人柄が魅力となり、多くの人を集めるのだろう。

 しかし、「人を惹きつける」と言われる要因はそれだけではない。取材を通して感じたことだが、彼女は「他人が求めていることを察知し、それに向かって自分の力を尽くす」ということが、ごく自然にできる人間だ。仲間達との会合にその日会ったばかりの私を呼び、発した言葉が冒頭の「なんでも聞いてね」の一言である。サービス精神旺盛で、こちらが要望を言う前にあれこれと動いてくれる。

香川出身で、現在は東京で働いている高橋は、香西が東京に来た際に知り合いと開く飲み会に、よく誘われる。そこでの出会いが現在の仕事にも活かされているという。

「香西さんの撮る映画に参加したり、一緒にいたりすることで、その人にとっていいことがあるように、色々考えてると思います。結構、気を遣ってるように見えますね」

 百十四銀行の営業統括部で、今年の十月までの二年間、香西と共に働いた坂田直美も、彼女を「求めていることに対して倍以上で返してくれる人」だと言う。

ある日坂田は、お客様から「新しい商品を作って県産品コンクールに出したい」という相談を受けた。そのことをコンサルタントである香西に話すと、彼女はネーミングやパッケージを「熱意をもって一生懸命」考えた。お客様の希望や考えていることを理解しようと努め、イメージ通りの商品になるよう配慮した。その結果、出来上がった商品は見事コンクールで入賞を果たす。坂田は、妥協をしない香西の姿に驚くと共に感銘を受けた。今の香西への思いを聞くと、「今度は自分の番」とでも言わんばかりに、「もし私に手伝えることがあるのなら、ぜひ協力しますという思いです」とはっきりと答えた。

人の思いに考えを巡らせ、尊重し、自分に求められるものがあれば全力で応える。そんな彼女が銀行員を辞めない理由も、また「人」にあった。

「銀行では、社内報とか、あたしがやりたいって言った仕事や、向いてる仕事をいつもやらせてもらってて。辞めるっていうのは、そうやってやりたい仕事あててくれた人たちを裏切るようで、心が痛むね」

そして最後に、「いろんな人が肩書きに興味をもってくれて、人脈が広がるからっていうのもあるけど」と、いたずら好きの子どものような顔で笑ってつけ加えた。

 「相手の為に」と気を配る性格は、生来のものだという。その姿勢と熱意が人の心を動かし、香西のために「何かをしたい」と思う気持ちを生む。だからこそ彼女の周りには、無償で手伝ってくれる協力者がたくさんいるのだ。

「次は、天才少年が主人公の映画を作りたい」と嬉しそうに語る香西は、未来への希望に満ちていて、活き活きとしていた。彼女はこれからも多くの人達に支えられながら、新しい扉を開けて、見たことのない世界を突き進んでいくのだろう。

 

2015年11月1日執筆